疎との鳥 籠の禽
裏側と裏側
日向が日本の裏側であるブラジルにビーチバレーの為に旅立ってから三ヶ月が経った。
時計を見ながら、ボソリと呟く。
「……向こうは夜かぁ」
裏側と裏側
「一緒に行く?ブラジル !! 」
「流石に二年は無理かなぁ」
「そっかぁ……そうだよな」
雨に濡れた仔犬の様にしょげてしまった日向の頭を撫でてあげる。
ビーチバレーの修行の為に日向が単身ブラジルに行くと決まったのは、三年に入ってから。
烏野卒業後は日本のビーチバレーで経験を積み、そしてブラジルへ行く。
それぞれ違う道に進んでいくのだな、と改めて思っていた。
「翔子は大学楽しい?」
「うん、学べる事沢山合って楽しい」
「おれ勉強苦手だからなぁー」
眉間に皺を寄せながらに言う日向に、苦笑いしながら言う。
「それでこれからブラジル語とか覚えていけるの?」
「それは大丈夫!ほら、ブラジル語の勉強してるし!」
リュックの中に詰め込んであるブラジル語の本を取り出し、日向は興奮気味に言っていた。
でもそれは口だけでない事が分かる位にくたびれているし、付箋も沢山貼ってある。
バレーに関わる事ならば吸収が上手く出来るのが、純粋な日向らしくてつい笑ってしまう。
「な、なんで笑うんだよっ !? し、翔子の方はどれ位覚えられてるんだよっ」
「私?私は覚えたい言語が多いからなぁ」
カバンに入る沢山の教科書を横目に言うと、中を見た日向は言う。
「翔子は将来翻訳家、だったっけ?」
「うん、通訳の仕事も面白そう」
「じゃあブラジルもいけるな!」
「ブラジル語取ってないけどね」
今学んでいるのはイタリア語や中国語である事を、教科書を見せながら言うと再び日向がしょげてしまった。
「ブラジルに短期留学とかあったらね」
「来たらおれ、案内するから!」
ぐわっと目を輝かせて言った日向に、そうだね、と声をかけた。
アレから月日の流れは早く、日向のいない日本は何処か物足りなかった。
翔陽と翔子。
名前が似ている事で日向とは仲良くなり、友達として付き合っていて、実は恋仲でもなんでもない。
本当に友達以上恋人未満、の関係だった。
日向とはLINEで連絡を取り合っているけれど、声は聞けていない。
十二時間と言う時差は思ったよりも足枷であり、時間を合わせるのが難し過ぎた。
日向はビーチバレーをやりながらバイトがあるし、こちらは学生と言う事で講義が山の様にある。
時間を合わせるのがお互いに難しい事と、友達なのに、と言う壁が通話と言う手段を絶ってしまったのだ。
「元気なのは分かってるんだけど、ね……」
机に伏せながら、スマホを触る。
日向からのLINEの話を見る限り、夜は試合とかではなくビーチバレーを遊んでいる人達と一緒にプレイしているらしい。
砂は優しくて厳しい、とよく愚痴の様に言ってきているので、インドアとアウトドアでは全然違うのだろう。
「次の講義行かなきゃ」
時計に目をやり、講義室に向かおうかと思った所、スマホからぴろん、と音が鳴った。
LINEの通知音だ、と画面を見るとそこには日向の文字。
こんな時間に珍しい、と思いながらチャット画面を開くと一言書かれていた。
『今、電話出来る?』
どうしたのだろう、と慌てて通話ボタンを押した。
そろそろ日付が変わる時間帯だと言うのに、日向の身に何か遭ったのかと、不安になる。
『あっ?翔子?』
三ヶ月ぶりに聞く陽向の声色は、日本にいる時と変わらず明るかった。
緊急性がある様な様子もなく、どうして電話して来たのだろうと、言葉が出て来ない。
『翔子?どうかした?』
「えと……」
やっと声を絞り出したが、言葉が続かない。
当たり前の様に話していた友人である筈なのに、日向が急に知らない男性に感じてしまったのだ。
『ごめん、そっち午前中だよな?授業中だった?』
「う、ううん!今から講義室向かおうとしてたけど、授業はまだ」
日向を不安にさせたくなくて、慌てて答えると電話越しでも分かる位に笑顔の声が返ってくる。
『良かった~、ごめんな、急に電話とかしてさ』
「大丈夫だけど、どうしたの?」
『ん――』
唸る声に腕を組んで悩む姿がすぐに浮かんだ。電話を望んだ日向すら、どうして?と言った様子の反応だった。
『今混ぜてもらってビーチバレーやってたんだけど、上手く出来たからなんか翔子に褒めて欲しくなったのかも!』
明るく言い切った日向の言葉に嬉しさが込み上げてきた。
同時に単身ブラジルと言う遠過ぎる国にいる日向が、寂しさを感じていないと何時から勝手に思ってしまっていたのかと、翔子は反省した。
「日向はやっぱり凄いね」
『まだまだだけどな!でも出来る事が増えてくのはやっぱり楽しい!』
「うんうん」
もっと話していたかったけれど、もう講義の時間が来てしまう。名残惜しいが正直に日向に告げた。
「ごめん、もう講義始まっちゃう」
『あっごめんごめん!』
「日向の声聞いたらなんだか私も頑張れる気がしてきたよ」
『ホント !? 』
「うん」
頷きながら移動を開始する。ギリギリまで電話出来る様にしながら。
「日向私ね」
『うん?』
「何時も勉強で夜中二時前後まで勉強してる事多いから、その時間帯は電話大丈夫だよ」
声を聞きたいのは日向だけじゃない、と遠回しに伝えてみたけど、伝わったかは分からない。
でも、今は伝えるだけで良かった。
『俺ももっと沢山翔子と話したいから、電話いっぱいするな!』
「うん、私も勉強しながら話したい」
『お互いに寝不足だけは気を付けないとなぁー』
十二時間と言う時差の壁は無くなる事は無い。
互いに裏側に居るのだから。
「そうだね。地球の裏側と裏側に居るの変な感じ」
『ホントホント』
日向の電話の向こうからブラジル語が聞こえてくる。きっと一緒にプレーしている人達なのだろう。
持ち前のコミュニケーション力の高さで何とか出来てきているのだと、安心した。
日本でもブラジルでも、日向が人に好かれる事が変わらなくて良かったと思う。
きっとこれから二年間、日向は素晴らしいプレイヤーにきっとなれると思う。
そんな日向と一緒にいて恥ずかしくない人間になろうと、翔子は決めた。
「それじゃあ日向、無理はしないでおやすみなさい」
『翔子は学校、頑張れな』
「また夜に」
『また昼間にな』
プチッと通話を終了させ、時計に目をやる。
裏側と裏側に住む超遠距離だけれど、機械一つで繋がられる時代に感謝しかない。
足早に歩きながら、今後の目標を決めていく。
元々合った目標に、新しい目標が増え、世界が広がっていき輝かしく見えた。
早めにブラジル語を学べる様に出来ないか、教授に相談してみよう。
日向が裏側から戻って来る前に、翔子が裏側に行ける様に、と。
(2021,4,16 飛原櫻)