疎との鳥 籠の禽
たまには、甘えて みようか
「影山って海野さんに甘えたりしてんのか?」
日向の言葉に影山はカバンの中手を突っ込んだまま、固まるのだった。
たまには、甘えてみようか
「あま……甘え、る?」
「そーそー」
何度も頷く日向に、影山は言っている意味が理解出来ないらしく、変な表情をしたままだ。
そんな突然に、そもそも日向自身が思って言うとは思えない言葉に、山口は助け舟を出した。
「日向……急にどうしたの?海野さん本人がいうならまだ分かるけど……」
山口の言葉に、影山から視線を移した日向はサラッと口を開いた。その即答の速さから、日向の意見ではない事は誰にでも分かった。
「甘えてる影山、見たいって」
成程、朔夜の気紛れの発言を日向にした事により、頼まれた訳でも無いのに、本人である影山へと回ってきたのだ。
日向に言われただけでも訳が分からなく、理解出来ない。だと言うのに、それが意図しなくとも朔夜からの伝言となると話は別だ。影山は焦り気味に言った。
「さ、朔夜が言った……のか?」
「おう。『飛雄たんが甘えてくんない』って」
頷き言う日向の姿を見た影山は、冷や汗が背中を伝っていくのがよく分かるのだった。
初めて焦りから汗が出る感覚は不快感を感じずにはいられない。どうすればいいのかも分からず、余計に焦っていった。
普段試合であっても緊張もしなく、冷や汗も出ないのが影山飛雄と言う生き物である。
そんな影山が唯一無二と言っても過言ではない、振り回されて緊張を与えられる生き物。ある種のバレーボールよりも優先する存在が、朔夜である。
常に何を考えているのか分からない。口を開けば最近は一目惚れをした、と言うPSYCHO-PASSと言うアニメのキャラクターの狡噛慎也の妄想しか話してこない。
名前とイラストしか分からない相手によくアレだけ止まらずに妄想出来るのだと、理解は永遠に出来ないが感心はしている。
朔夜の発言は相変わらず七割近く分からないのだが、話されたらちゃんと聞くし、渡された漫画も全て読んでいる。
今までした事も無い事、興味が無い事にも必死になるのは、全ては朔夜に好かれたいと言う感情から動いている行動だ。
しかし親にすら甘えた記憶がない影山にとって、『甘えてくれ』と言う事は無理難題であった。
と、言うよりも『甘える』と言う行為が、影山本人には分からないのだ。
今は亡き祖父一与に懐いていたのは、もしかしたら『甘えていた』のかもしれない。
けれど、それも根本にはバレーボールが関わっている。しかし、朔夜相手にそれは通用しないのだ。
(甘える……甘え、るって何をするんだ?)
ぐるぐると脳内に甘える、と言う単語が駆け巡りながら、普段の朔夜の姿行動を思い出してみる。
確か菅原が朔夜に対して甘え上手、と言っていた筈だ。ならば朔夜の行動に習って動けば朔夜の要望に応える事になる。
(朔夜……普段の朔夜の行動…………)
考えてみれば考える程、分からなくなってきてしまったらしく、影山はゆらゆらと揺れ始めた。
その様子に影山の頭から煙が出ている、と皆がその姿を見て思っていた。
「甘える、とかまた影山が苦手そうな事を求めて……」
「甘えるうんちゃんは想像付くけど、甘える影山は……想像付かないべな」
完全に思考がショートしている影山の姿を、澤村と菅原は苦笑いをしながら話していた。
問題行動が多いのだが、影山と朔夜はなんだかんだで可愛い後輩カップルである。
何か問題を起こせば叱りはするが、基本的姿勢は暖かく見守っている、つもりである。
つもりである、原因は恋愛初心者の影山と、一つ二つズレている朔夜は三歩進んで二歩下がっている関係性だ。
それでも朔夜の為にと日々努力をしている影山の姿は、人に歩み寄れずにいる影山の性格を知っていると応援したくなるのが、先輩心である。
だが、甘える等影山にはハードルが高過ぎる。更に性格も合間みってアドバイスも出来ない。
現状を分かりやすく言うならば、影山にテスト五教科満点を取って欲しい、と言っているのと等しい程に不可能に近い事だ。
どうすべきか二人で見合っていると、制服から部活着に着替え終わった月島が嘲笑たっぷりの顔で言うのだった。
「甘える王様見てみたいねぇ。絶対に想像出来ないけれど」
普段ならば月島に喧嘩を売られれば、すぐに噛み付き返すのが影山。だが思考がショートしている影山の耳には微塵も入って来ていない様だった。
「月島の煽りにも全く気が付いてねぇみたいだな」
田中がそう言うと続ける様に西谷が元気よく言ってきていた。
「まぁ影山の優先順位は月島じゃなくて、うんちゃんだからな!月島なんてどうでも良いんだろうな!」
「……西谷それはそれで月島に失礼だろ」
西谷に向かって縁下が言うが、言われた西谷は影山を指さしている。月島の嫌味も周りの言葉も、今の影山には一欠片も届いていない。
自身の理解の範囲を超えてしまっていて、現実に戻ってきて来られずにいる様だった。
「影山、部活行かねぇの?」
しかし原因の一端である日向は、自分の発言が原因だとは全く思っていないのか分かっていないのか。
影山と同じ程にバレーボール脳であるので、部活を始める事しか考えていない様だ。
「もう谷地さんも清水先輩も体育館着いてると思うぜー?あ、そう言えば海野さん、今日はバイトないから顔出すって言ってたっけなー」
日向のその一言に、影山の全身から汗が吹き出た事を日向以外全員がしっかりと目にするのだった。
◆
第二体育館。男子バレー部の部活動の場。
思考が死んでしまっている影山を、部室から無理矢理押しながらの到着。
そこには先にマネージャーである清水と谷地、今日はバイトがないらしい朔夜の姿があった。
朔夜の姿を認識し、影山がまるで石の様に固まった。図体のデカい男が固まったら動かしずらいこの上ない。
それにそろそろ影山の思考から『甘える』を消去しないと部活に支障が出る。いや、既に出ていると見るべきだ。
ここは言い出しっぺである日向に頼もうかと澤村が口を開こうとした刹那、影山が手足左右同時に動かすと言う動きで歩き出した。
緊張していると言うのが分かる影山の姿に全員が固まって声が出なかった。
ギチ、ギチ、と言う擬音が聞こえてくる程の影山の不自然な動きに、最初に気が付いたのは谷地。
不審者にしか見えない影山の動きに恐怖を感じたのか顔を真っ青にして、声が出ないのか口をパクパクとさせていた。
元々顔は良いのだが、影山はすぐに眉間に皺が寄るし、体格が良いのでそれで怖くて見える事が多い。その人間が明らかに変な空気を纏いながら、歩み寄ってくるのだから顔見知りでも怖いのだろう。怖がりの谷地ならば尚更だ。
その谷地の様子に気が付いたらしく、清水が影山の事を見、影山に完全に背を向けていた朔夜がくるっと振り返るのだった。
「飛雄たん。その変な動きは新しい練習?」
影山の異変に微塵も気が付かないのか、それとも慣れているのか。朔夜は抜けた声色で尋ねてきたのだ。
そのまま朔夜の目の前まで来ると、影山は言いたい事もまとまらないらしく、谷地と同じで口をパクパクとさせて声は出ていなかった。
その姿に清水の視線は澤村達へと注がれ、全員が朔夜の事を見る。そして、谷地がまるで死にそうな様子で言うのだった。
「かかかか影山くっ……どどどどうした、のっ !? 救急箱っ !? AED !? 」
まるでこの世の終わりの様に言う谷地の姿に、朔夜は影山と谷地を交互に見てから言うのだ。
「なるなる。仁花大丈夫大丈夫。飛雄たん元気元気、超元気」
「元気なのっ !? 絶対に影山君おかしくなってるよ !? 」
朔夜の言葉に過剰に答える谷地に、朔夜は影山の事を見上げながら、落ち着いた様子で言う。
「私なんか飛雄たんの頭ぽーんさせる事、言ったっけ?んー……飛雄たんとは普通の会話しかした覚えないんだけどなぁ?」
影山とは、と言う含みある朔夜の発言。影山以外とは普通じゃない会話をしたとでも言うのだろうか。
今日のその相手は日向なのだと思っていると、やっと影山から声が出た。
「さく……や」
「はいはいはーい」
「んと……その……あの……」
歯切れ悪く、目を泳がせている影山。普段ならば有り得ない姿であっても、朔夜は表情も態度も一切変化がない。
つまりこの影山の姿に慣れている、と言う事を示している。
影山の口下手な所も、言葉選びの下手さも彼女であり、クラスも一緒である朔夜はこの場の誰よりも理解しているのだろう。
視線を上手く合わせようとしない影山に、朔夜は尋ね始めた。
「お腹空いた?クッキー少なかった?」
「…………いや」
「疲れた?調子悪い?」
「……健康」
「バレーボール、飽きた?バレーオタクやめる?」
「誰が飽きるか辞めるか。つか俺はオタクじゃねぇ」
淡々とだが受け答えが出来ているのを確認していたらしく、朔夜は本題を投げかけたのだった。
「伝言ゲームでもされた?」
「伝言……ゲーム?」
影山には聞き慣れない単語だったのだろう。首を傾げながらに朔夜の事を見た影山に、朔夜はニコニコ笑いながらに説明をしていく。